ぽわぽわする



 頭がぽわぽわする。
 嬉しいとか幸せとかそういうぽわぽわならいいのだけど、熱があるせいだからよくない。おなかすいた。
「困ったなぁ」
 ひとりごとは思ったよりずっと弱々しかった。連休だけどなんとなくやる気がでないなあと思って家でごろごろしていたら、どっと熱が出た。最近なにかと忙しかったから疲れが溜まっていたのかもしれない。頭が痛かったり吐いたりしないからまだいいけど、今日はもう起きる元気もない。おなかすいたなあ。
 非常食なんていいものはない。カンパンがおいしいのが悪いのだ。喉乾くから一緒に置いてあった水も飲んじゃったし。
「おなか、すいたなぁ……」
 口に出してみると、しみじみとおなかのからっぽが染みた。前にダイエットしたときだってここまでおなかは悲しくならなかったのに。
「もしかして」
 このまま死んじゃったりして。若者の孤独死。いやだなあ。いやんなっちゃうな。そんなことを考えてたら鼻の先がつんとしてきた。泣きながら死んでいくのか。それもっといやだなあ。さいあく。
「なに泣いてるんですか、先輩」
「わひゃっ」
 いつの間にか、こーはいが私を見下ろしていた。のっぺり無表情な竜人の顔はなにを考えているのかぜんぜんわからない。
「本物?」
「偽物に見えます?」
「うん」
 うんと言ったのは、別にこーはいが偽物だとかいうのじゃなくて、ただなんとなく頷きたかったから。こーはいはとくに気にした様子もなく私を覗きこむ。私と同じ赫い瞳に、くたっとした狼人が映っている。
「どうです、調子は」
「頭がぽわぽわする」
「ぽわぽわしてんのはいつものことじゃないですか」
「おなかすいた」
「お粥作りますよ」
 溜息一つ置いてこーはいは台所に行った。しばらくして、米の甘い匂いが漂ってくる。おなかすいた。
「こーはい」
 聞こえなかったみたい。がんばって、もっと大きな声で呼ぶ。
「こーはい!」
「なんですか?」
「おなかすいた!」
「今作ってますから、ちょっと待っててくださいね」
 ちょっとってどれくらいだよぅ。台所をにらんでいたら、こーはいが持ってきたらしきスーパーの袋が床に置いてあるのが見えた。中からスポーツドリンクらしき青が覗いている。
「こーはい!」
「はい、なんですか」
「飲みたい」
「は? ああ、いいですけど、一気に飲んじゃだめですからね。ゆっくり飲んでくださいよ」
「持ってきてー」
「はいはい」
 汗をかいたペットボトルはひんやりでとても気持ちいい。きゅっと握っていたらひょいと取り上げられてしまった。
「なによー」
「遊んでないで飲んでください」
 捻じ切るような勢いでこーはいはペットボトルを開けてくれた。
「いいですか、一気に飲んじゃ駄目ですからね。ゆっくり飲んでくださいよ」
「ん」
 喉を涼やかな水が流れ落ちていく。言われたとおりゆっくり飲もうと思っていたのに、あんまりに甘くて結局全部飲んでしまった。
「あーもう……大丈夫ですか? 気持ち悪くなったりしてません?」
「うん……お粥は?」
「今できますよ。おとなしく寝ててくださいね」
「うん」
 こーはいのおっきなてのひらがちょうど届きそうな距離にあったので、手を伸ばす。変温動物なこーはいの手はひんやりしていて、ずっと握っていたいくらいのきもちよさだった。
「放してください」
「えー」
「もうじきお粥ができますから。それを食べたら、氷枕も作ってあげますから」
「こーはい冷たい」
「爬虫類ですから」
 さらっとこーはいは台所に戻ってしまった。と、すぐに戻ってきてくれる。いい匂いがした。
「おなかすいたー」
「冷まして食べてくださいね」
 お粥はほんのり塩味だった。とってもおいしいから、熱くてたくさん食べられないのがつらい。
「ねーこーはい、ふーふーして」
「ええ? 自分でやってくださいよ」
「私よりこーはいの方が冷たいから、こーはいがふーふーしたら冷めるの早いじゃない」
「そんなことありませんよ」
「えー?」
「ないです」
 ふーふーしてくれそうにないので、私は自分でふーふーした。けっこうつかれる。そうやってちびちび食べていると、こーはいはビニール袋からカンパンや水を出してきてくれた。
「こういう、緊急の食料って用意してます?」
「食べちゃった」
 こーはいは無表情のまま呆れてみせた。
「そういうとこお嬢様ですよね……いや、食い意地が張ってるだけか」
「私くいしんぼじゃないもん」
「この前俺のハンバーグ勝手に半分くらい食べましたよね」
「そんなことは忘れてしまいなさい!」
「食い物の恨みは深いんですよ」
「こーはいこそ食い意地張ってるじゃない! こないだだってソフトクリームひとりで三つも食べてたじゃない!」
「人のを取ったんじゃないからいいんです。そもそもあれだって先輩が半分くらい食べちゃいましたよね」
 そういえば私はどうやっても口ではこーはいにかなわないのだった。黙ってお粥を食べることにする。
「気持ち悪くないですか?」
 こーはいの声は冷たいけどやさしい。
「うん大丈夫。おいしいよ」
「よかったです」
「ねえこーはい」
「はい」
「私のパンツほしい? ブラも持ってかえっていいよ」
 ちょっとの空白を挟んでこーはいのでこぴんが襲ってきた。
「いたい!」
「なに言ってんですか」
 こーはいの目がきろきろ動く。
「いらない?」
「どうしてそういう話になるんですか」
「ほらこーはい、今なら右おっぱいをダブルクリックでオープンしちゃうよなんでも見放題だよ」
「寝ててください」
「ごめん左だった」
「いりませんてば」
「いらない?」
「いりませんってば。どうしてそういう話になるんですか」
 困ったな。あんまり言いたくないんだけど、こーはいは察してくれない。
「いやだってさ」
「はい」
「なんていうかね」
「はい」
「お礼、できないし」
「馬鹿ですねえ」
 けっこう勇気が必要だったのに、こーはいはばっさり切り捨てた。
「バカってなによ。バカって言った方がバカなんだからバーカバーカ」
「ほんと馬鹿ですね」
「なによー」
 拗ねた私が枕に顔を埋めると、こーはいの手が頭の上に乗せられた。
「いいんですよ、そんなこと考えなくて。ありがとうって言ってくれれば、それで十分です」
「うん」
 こーはいの声がちょっと揺れた。
「そりゃ……俺だってですね、まあ、そういうことは、したいですよ。でもですね、そういうのは、嬉しくないんです」
「ん」
 こーはいはそう言って頭を撫でてくれる。私のしっぽがはたはた揺れた。
「ね、好きって言っていい?」
「いいですよ」
「ありがと」
 瞼を閉じると心地よい暗闇が見える。眠くなってきた。
「言わないんですか?」
「言ったげない」
 そうですか、とこーはいはこころもち残念そうに言って、私が眠るまで頭を撫でていてくれた。
 頭がぽわぽわする。